『第13回 渡辺晋賞 授賞式』が行われ、作曲家・編曲家・プロデューサーの村井邦彦氏が渡辺晋賞を受賞した。
グループ・サウンズ全盛期の1967年に作曲家としてデビューした村井氏。音楽プロデューサーとしては、荒井由実(ユーミン)やティン・パン・アレーを見いだし、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を世界に送り出している。マネージメント面では、音楽出版社やレコード会社を創業し、アメリカにも現地法人を設立するなど国際的な視野にも手腕を発揮。作曲家としては、ザ・テンプターズ、ザ・タイガース、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ザ・モップス、ピーター、赤い鳥、辺見マリ、トワ・エ・モア、ハイ・ファイ・セット、森山良子、北原ミレイなどに楽曲を提供して、昭和時代後期の日本の大衆音楽を支えた。
日本において25年活動の後、現在はアメリカ・ロサンゼルスを拠点に活動。映画、舞台、テレビドラマなどのエンターテインメント全域に活躍の幅を広げている。作曲家活動50周年の節目を迎えた昨年末には、日米のアーティストで表現する「LA meets TOKYO」コンサートをプロデュースしている。
授賞式では、主催の一般財団法人渡辺音楽文化フォーラム・渡辺美佐理事長より、トロフィーと副賞100万円が授与された。選考委員の三枝成彰氏は、受賞理由について、それまで聴いたことのなかった、ポップスの大衆性とヨーロッパのインテリジェンスを持ち合わせた“アルファサウンド”という新しいハーモニーを作り、「1970年代~80年代にかけて、大きな転換期を作った」と語った。
村井氏は「子供の頃から賞に縁がなかったので、大人になりこのような賞を頂けてとてもうれしい」と授賞の喜びを語り、「僕たちの仕事は、いい友達と仕事をすることによって初めて可能になります」と、式に参加した関係者に感謝した。
続けて、今の音楽の仕事をすることになったきっかけや、現在ロサンゼルスを拠点とした音楽活動、さらに渡辺晋・渡辺美佐とのエピソードなどを語り、「この受賞がバネになって、またもう一発ジャンプしようと思っています」と語った。
続いて、『第12回渡辺晋賞』受賞者の矢内廣氏がお祝いに駆けつけ、クリエイターであり、プロデューサーであり、経営者である村井氏を“伝説の人”だと語り、「彗星のように現れ、新しい感性で昭和の音楽シーンを塗り替えた革新者」と讃えた。
そして、村井氏がアルファミュージック創立した際の契約第1号作家であり、のちに歌手デビュー作となる「ひこうき雲」をプロデュースするなど、公私に渡り50年におよぶ深い親交を持つ松任谷由実氏から花束贈呈と「こうしてお祝い、ご恩返しができるのも、村井さんに『荒井由実』としてこの世界に送り出して頂いたからです」と述べた。
そして、村井氏とのアルファレコード時代の曲は、当時のアナログ盤の素晴らしさが詰まった作品で、今でも若いミュージシャンたちから評価されていると語り、「デビューアルバムは目の上の瘤みたいなものですが、それを超えるべく松任谷正隆とずっとやってきて、超えられないところも超えたところもあり、これからも超えられないところがあるからこそ、走っていける」と、村井氏に感謝の思いを伝えた。
<受賞者 村井邦彦氏 略歴>
作曲家・編曲家・プロデューサー。米国ロサンゼルス在住。
1945年生まれ、東京都出身。
1967年、ヴィッキー「待ちくたびれた日曜日」で作曲家デビュー。
1969年、パリ・バークレー音楽出版社と「マイ・ウェイ」などの出版権利を契約し、音楽出版社アルファミュージック設立。
1972年、荒井由実をプロデュース。
1977年、アルファレコードを設立し、YMOをプロデュース。
1992年より、活動の拠点をアメリカ・ロサンゼルスに移し、活動開始。
2017年、作曲家活動50周年を迎える。
■アルファレコードの主な所属アーティスト
赤い鳥、荒井由実、YMO、カシオペア、紙ふうせん、ガロ、小坂忠、サーカス、シーナ&ロケッツ、ハイ・ファイ・セット、ブレッド&バター、吉田美奈子など ※五十音順
■主な制作楽曲
1968年、ザ・テンプターズ「エメラルドの伝説」、ザ・タイガース「廃墟の鳩」
1969年、トワ・エ・モワ「或る日突然」、ズー・ニー・ヴー「白い珊瑚礁」、
ピーター「夜と朝のあいだに」、森山良子「恋人」
1970年、辺見マリ「経験」、北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」
1971年、赤い鳥「翼をください」、トワ・エ・モワ「虹と雪のバラード」 ほか多数。