落語家・三遊亭圓朝によって創作された怪談噺を舞台化した「怪談 牡丹燈籠」が7月14日(金)から上演される。本作で演出を手掛ける森新太郎さんと、主人公・新三郎を演じる柳下大さんにインタビュー。本番を目前に控えたお2人に、幽霊話に終わらない、人間の業が複雑に絡み合う一大ドラマとなる本作についてたっぷり伺いました。
◆初日が迫ってきましたが、出来具合、手応えはいかがですか?
森:本番を迎える前に自信満々ということはないんですけど、楽しいです。本来は芝居を固めていく時期なんですけど、昨日半分くらいぶっ壊して(笑)。僕は楽しいけど、俳優が楽しいかどうかは分からない…。楽しいと信じてます(笑)。
柳下:舞台装置が入ったんですが、森さんの中でたぶん可能性が増えて、とにかくそのイメージに追いつくというか、森さんの頭の中でどういうことが行われているかっていうのを表現するためについていくのに必死で。昨日はぐったりしました(笑)。
森:ははは(笑)
柳下:僕はそういうの好きなので、楽しいんですよ。僕のところでいえば、前半は今までと全部変わったんですが、固定されて役を突き詰めていくと行きどまっちゃったりするんです。でも、森さんみたいにいろいろ試してくださると、いろんな可能性の中から軸が出来ていく感じがある。試行錯誤して肉付けしていきながら、骨も太くなっていくような感じがして楽しいです。
森:無駄なことはないんです!試行錯誤して、9割9分は捨て去るんですけど、無駄なことは1つもないと思っています。
◆柳下さんが森さんの演出をほかの作品で見ていた印象と、実際にご一緒してからとで変化はありましたか?
柳下:僕は森さんの「BENT」を見た時に2幕の演出がすごく印象的で。相当稽古したんだろうなって感じて、絶対つらいだろうけどやってみたいなと思っていました。
ご一緒する前に森さんの演出を受けている方からよくお話は聞いていたんです。一回やったほうがいいけど稽古が大変だよ、みたいな。僕そういうの嫌いだけど嫌いじゃないんです(笑)。稽古中はきつくても、本番を迎えた時に達成感とかすごくやってきてよかったと思えるので。
それですごい覚悟してきたんですけど、つらいっていう感じも長いっていう感じもなくて。逆に気になっていることがあったら徹底的にやってほしくて、何回も繰り返していくうちに体も慣れてきていろんな余裕も出てきて、また違ったものが見えてきたりするので、実際にやってみてつらいということはなかったです。
◆森さんは柳下さんにどういう印象を持たれていましたか?また、ご一緒して気付いた新発見などはありますか?
森:一緒にやってみて分かったことは、演劇が好きでよかったということ。それはやっていると分かるんですよ。
けっこう演出が大きく変わったりするんですけど、楽しそうにやってるなって。
それ以外にも人が芝居をしている時とかもすごいやりたそうに見てるから(笑)。すべてのシーンをやりたそうに見てるから、舞台が好きなんだなって。それはよかったなと思いました。人が芝居をしてるときの見方で分かるんですよね。
柳下君、ごめんね、君の出番じゃないからちょっと待っててねって思っちゃうくらい(笑)。
柳下:ははは(笑)
◆「牡丹燈籠」という題名だけは知っていたのですが、台本を拝見してこんなに壮大な物語だったのかと驚きました。柳下さんは台本を読まれたときにどう感じましたか?
柳下:僕も「牡丹燈籠」のことは知らなくて、このお話をいただいた時に原作を読ませていただいたんです。台本を読んだ印象だとすごく展開が早かったので、どう演出するんだろうと思いました。
◆具だくさんな物語ですが、森さんは演出にあたってどんなふうにお考えになりましたか?
森:フジノサツコが脚本をやってるんですけど、よう自由に書くなあと思って。どうやるんじゃい!って(笑)。すべての俳優がそう思ったらしいです。
でも、もともとの圓朝の原作は入り組んだあらゆるエピソードが面白いので、確かにこれを削っていっちゃうと因果話の魅力がなくなっちゃう。今回はほぼ全部網羅しているので、原作の豊かさをそのままに出せるんじゃないかなと思います。
幽霊話も怖いんですけど、それよりも人間の因縁というか、こことここが絡み合って、ということはこの人1人の力じゃどうしようもなかったんじゃないかというつながりばっかりで。
新三郎の話が中心にあるんだけど、次々と変わっていってこの話どこに行きつくんだろうっていうのが、最後までお客さんの興味になるといいなと思っています。
◆柳下さんは新三郎の役作りにあたってどんなことを考えましたか?
柳下:最初に森さんとお会いしたときに、市川雷蔵さんのイメージって言われたので「斬る」と「薄桜記」という映画を見ました。自分の中で好青年というか硬派な二枚目というか、そういうイメージで本読みに向けて作ってきたんですけど、やっていくうちに森さんの演出もあって、縛りがなくなってきて自由になった。それから骨が出来てきて肉をつけていったという感じですね。
一回こっちに振ってちょっと戻すとか、戻し切らないで半分だけ戻してみるとか、森さんの言葉をもらいながら自分の中で一回整理して、もう一度森さんに見てもらってということの繰り返しをやっています。
◆新三郎はどんな人物ですか?
柳下:たぶん普通の「牡丹燈籠」の新三郎のイメージとはちょっと少し違うというか、僕の感覚だとストーリーの中の1人というよりは生の人間というか、リアリティがある人間。現代でもいるような、一番現代人に近いという感じがします。
ちょっとだめなやつというか、今どきの若い男の子みたいな感じかなと思っています。
◆森さんが柳下さんに期待する部分は?
森:新しい新三郎像を作ってもらわなきゃ困ると思っています。自分が雷蔵好きだから雷蔵みたいに男前に作ったらどうなるのかなと思って言ったんだけど、稽古をやっていくうちに、好青年ほど面白くないものはなくて。
それで逆に、柳下君を見ているうちに違うイメージが沸いてきて。少しイヤなところがあってもいいんじゃないかなって。
初めからかっこ悪い男だっていうのは薄々思ってたんです。
お露と相思相愛になっておいて、幽霊って分かったらイヤーッてお札貼っちゃうんだから(笑)。ロミオとジュリエットにはなれないなって。
もう1つ、新三郎は浪人なんだけど、気位が高いようなところがあっても面白いんじゃないかなと思って。プライドが高くて、それ故の勝手さ、臆病さ、自分の領域に入ってきてほしくないとか。
それで、誰か気位が高いやついるだろ?名前は言わなくていいからその人をモデルにして一回やってみてよって言ったら、すごい面白くて(笑)。でも、そのモデルが誰なのかはいまだに分かんない(笑)。
気も強くて繊細なところのある新三郎は想像していなかったので、取っかかりとしてそれを得たのは大きいかもしれないです。やってみなければ分からなかったことですね。
◆怪談が今の世まで語り継がれているのはどうしてだと思われますか?
森:僕は「四谷怪談」もやっているんですけど、どっちも共通しているのは、凄まじいのは女の幽霊なんですよね。あんまり男の幽霊って怖くないんです。
今回芝居をやっていて、割と男の芝居だなと感じていて、それは時代があるのかなと。
女性が今ほどに力を持っていないというか、男の人が圧倒的に支配していて、その女性の立場から普段は発散できないエネルギーみたいなものが怪談話に盛り込まれているなと思ったんです。
怪談話で怖がるのって、女性じゃなくて男性じゃないかなとか。お岩さんは女性からしたら怖いのかなって。たぶん悲しくなりますよね。
◆悲しかったり、もっとやれ!って思ったり(笑)
森:そう。あれを怖がるのは男性だと思うんですよ。今回のお露も、男性の視点から見ると怖いかもしれないけど、女性から見たらもっとやれ、恋い焦がれて死んじゃってかわいそうじゃない!って。
能でも、男の幽霊はそんなに怖くない。女の幽霊の話のほうがよっぽど怖いんですよね。
その背景には女性の負の歴史が横たわっているような気がします。
◆柳下さんは怪談をやられるのは初めてですよね。
柳下:初めてです。僕、お化け嫌いなんです(笑)。怖がりだから信じてないんです。
信じてないんですけど、新三郎を演じる上では、なんか似てるんですよね。信じていないという部分で。
信じていないからこそ180度一気に変わるみたいな感じを意識しています。
森:新三郎が殺されるわけですけど、圓朝の原作では誰が殺したのかグレーで終わるんです。圓朝は江戸から明治にかけて活躍した人で、近代に生きた人なので、そこの分裂が面白いんですよね。
お化けを怖いと思っているけど信じていないという我々の感覚にも近くて。そこからああいう矛盾した話ができたんじゃないかな。
お化けはお化けで怖いし、肯定したいところもあるんだけど、近代人としては肯定もできないという。それはそのまま脚本に盛り込んでいます。文学座とか歌舞伎では純粋にお化けの話なんです。でも、圓朝自身はどっちか分からない結末にしていて、何回読んでも圓朝の気まぐれとしか思えない(笑)。
シェイクスピアもそうだけど、傑作といわれるものには謎があるんですよ。これが面白くて、今回もそのまま生かしているので、お客さんはちょっと不思議な感じになるんじゃないかな。100%お化けが殺したととも言えないようなこの結論によって薄気味悪くなるといいなあと期待しています。
◆「怪談」という言葉には言い換えの利かない独特の雰囲気がありますが、“怖さ”の表現についてはどうお考えですか?
森:幽霊側に怖い演技とかはさせちゃいけないと思っていて。怖いだろう!っていう演技はあんまり怖くなくて。お露にしても、怖いというよりは、好きという思いが人一倍強いだけで、単に怖がらせようとする芝居をしたら失敗するなという気がしています。
あと大事なのは、怖がる人がいないと怖さは成立しなくて。どっちかというとおびえる人間の演技をちゃんとやらないといけない。お露の芝居も大事なんだけど、それを怖がる新三郎のほうが大事なんじゃないかなと思って。その人の根底にある生き方がそこに出る。お客さんにとってそっちのほうが怖いんじゃないかな。
人間ってあんなに受け入れていたものをこんなに拒絶できるんだとか、そっちのほうがもしかしたら怪談の本質的な怖さなんじゃないかなと思います。
怖がる側に理由がほしいという気がしてますね。
◆怖がる側の柳下さんは演じていていかがですか?
森:面白いよね。だめな男ってやってて面白い(笑)
柳下:ほかの人の芝居を見てて、よく自分でやっちゃうんです。それを共演者の方に見られていたみたいで、「大くんあの役やりたいんでしょ」って(笑)。見ていても楽しいんですよね。ブルブル震えたり。
あんなに好きだったのに…というところからの変化がやっていて一番楽しいところですね。無理に人を変えてるわけではなく、新三郎のままイヤだ!ってなるのが僕自身は楽しいです。
芝居にグッと入ったときは、自然にすごく声が大きくなっていたり、動くスピードが速くなったりして、それが“怖い”なんだろうなと思います。
◆「すみだパークスタジオ倉」で怪談ということで、劇場にもこだわりがあったんですか?
森:今回、暗闇にこだわりたくて。暗闇ってそれだけで怖くなれるので。大きな劇場だと、なかなかそれができないんです。暗すぎて怒られる。「四谷怪談」のときもちょっとやってみたんだけど、あまりに暗くしたら何に分からなくなっちゃって(笑)。
ここの劇場ならけっこう極限まで暗くできるなって。皮膚で伝わってくるというか、そこに人がいるというのは伝わる空間だから。大げさにいえば真っ暗で何も見えなくたって通用する劇場なんです。こういう空間じゃなかったら「牡丹燈籠」はやれなかったなと思っています。
◆せりふが江戸の言葉ですが、どんな意図が?
森:脚本のフジノサツコと、現代語に直そうかという話もしたんです。この舞台は現代服でやるから。
でも、現代語にすると、やたらにやりとりが冗長になってくるんですよ。シェイクスピアもそうなんですけど、一見日常語で書かれているようで、実は日常語じゃなくて飛躍があるんです。だからこの圓朝の文体は外さないほうがいいなと判断しました。
現代語にない魅力、あとリズムがありますよね。俳優が肉躍るようにできているというか。しゃべると自然とリズムに乗っていくところもあるので、フジノサツコが書き足したところもありますけど、割と残しました。
あと、現代服でこの江戸の言葉をしゃべっていることによって、お客さんが頭の中で再構築するだろうと。この世界が江戸のことにも思えるし、我々のことにも思えるし。
演劇の面白さの半分はお客さんの想像力が作ると思っていて、僕はよくあえてそういう方法をとるんです。わざとずらすというか。お客さんが頭の中で作り直してくださいっていう、その楽しみにもつながるといいなあと思っています。
柳下:僕は時代劇が好きなのでこういう口調はすごく好きです。それでもやっぱりしゃべれていなかったので、森さんに言われて今回初めて「外郎(ういろう)売り」(※)をやりました。
※アナウンサーや俳優が発音、滑舌などの練習のために演じる歌舞伎の演目
森:ははは(笑)。みんなやってるんですよ。
柳下:役者さんはみんな通ってきた道を、僕はなぜか通らないで来たんです。知れば知るほど面白いですね。今までやらなかったからこそ、「外郎売り」って最初にやるのが大事なんだなっていうのも分かりました。
言葉遣いとか言い回しとか、言い慣れていないことで最初は苦戦していたので、「外郎売り」を覚えていく段階で絶対やったほうがいいものだったんだなって気づかされました。
◆お2人にとって演劇の魅力はどんなところにありますか?
森:普段日常で体験できない、体験しちゃいけないようなものを追求できるというのは幸せな職業だなと感じています。
バカバカしいシーンにもなり得るような、源次郎が昔の家来に襲われるところも、真っ暗闇でやったら本当に怖かったんですよ。何も持たない者同士が、自分の生活のために襲い合うとか、こういうことの迫力は本当にやってみないと分からない。字面では想像できなかったことが、生身の人間を通すとリアルに立ち上がってくるというのかな。
こういうのは現実では体験できないし、体験したくないことなので、それができるという点で、舞台をやっているおかげで人間について普通に生きている時よりも見えるものがあるのは幸せだな。
特にこの作品はそればっかりなので。
僕はこういう激しい芝居が好きで。シェイクスピアとかが好きなんですけど、それを日本に求めていくと「四谷怪談」とか「牡丹燈籠」とか、現代ものよりも古典的なものに行きついちゃうというのはありますね。
柳下:見る側とすれば、何といっても生という、特にこういう劇場でやるときは視覚だけじゃなくて、耳とか、肌とか、空気とか、においとか、そういうのをダイレクトに感じられるのが魅力ですよね。
今回の稽古中も電気を落として小さい照明でやったときに、感覚が研ぎ澄まされるんです。見えてるのか見えてないのかも分からないけど、なんかあのへんで動いたとか、ちょっとした音がするだけで敏感になったりとかっていうのは映像では体感できない。それは演劇ならではだと思います。
出る側からすると、その役とか作品について、映像だと自分が持ってきたイメージと監督のイメージを一回やりとりして本番ですけど、演劇だと稽古がたくさんできるので、その役についてより追求できるし、自分が納得いくところまで役を作り込める。僕にとってそれが演劇の魅力ですね。
◆それでは最後に舞台の見どころをお願いします。
森:冷え冷えとさせるつもりでやっているので、そういう夏の過ごし方もいいんじゃないかなと。幽霊話だけだと思われるとお客さんはびっくりしちゃうかもしれないけど、よく言われることですけど本当に怖いのは人間なので、そういうものをぜひ見てください。
柳下:キャラクターが個性豊かで、メインストーリー、サイドストーリーがいろいろ入り組んでいて怖さも感じると思うし、人間の面白さも感じると思います。
いろんなものを一度に一気に見られる舞台ですし、今回この劇場なので、感覚で伝わるものがすごくいっぱいあると思うので、どう感じるかというのを楽しんでもらいたいと思います。
■PROFILE
森新太郎●もり・しんたろう…1976年生まれ。東京都出身。演出家。演劇集団円演出部会員/モナカ興業主宰/四国学院大学非常勤講師
現代劇から古典までジャンルを問わず幅広く手掛ける。
柳下大●やなぎした・とも…1988年6月3日生まれ。神奈川県出身。
ドラマ、舞台、映画と幅広く活躍。演劇雑誌「演劇ぶっく」の読者が選ぶ「えんぶチャート」俳優部門で4年連続トップ10にランクイン。
■作品情報
オフィスコットーネプロデュース
「怪談 牡丹燈籠」
7月14日(金)~30日(日)
すみだパークスタジオ倉
<あらすじ>
浪人の萩原新三郎は、ふとしたことから旗本飯島平左衛門の娘・お露と知り合う。お互いに一目惚れした二人は恋仲となり、そしてお露は夜ごと牡丹燈籠を下げて新三郎の元を訪れ、逢瀬を重ねるのだった…。本作では、新三郎とお露の恋の闇路を中心に、下男・伴蔵とその妻・お峰の欲望の果ての転落、旗本飯島家・奉公人の孝助の仇討、飯島平左衛門の妾・お国と源次郎との不義密通など、サイドストーリーにも焦点をあて、幾重にも絡み合う人間の業を浮かび上がらせる。
原作:三遊亭圓朝
脚本:フジノサツコ
演出:森新太郎
プロデューサー:綿貫凜
<キャスト>
柳下大・山本亨・西尾友樹・松本紀保・太田緑ロランス・青山勝・松金よね子・花王おさむ
児玉貴志・原口健太郎・宮島健・川嶋由莉・新上貴美・井下宜久・升田茂
公式サイト:http://www.confetti-web.com/botan