10月17日(木)放送の『直撃!シンソウ坂上SP』(フジテレビ家)は、芥川賞作家にして元・東京都知事の石原慎太郎と、昭和を代表する大スター・石原裕次郎を輩出した日本屈指の名家・石原家、そして40歳という若さで早世したZARDのボーカリスト・坂井泉水を特集する。スタジオゲストとして、高良健吾、小峠英二(バイきんぐ)、松嶋尚美が出演する。
番組MCの坂上忍は、父に石原慎太郎、叔父に石原裕次郎を持つ石原良純の元を訪ねる。まず、良純から明かされたのは独特すぎる「石原家3つの家訓」。1つ目は「朝は絶対に物音を立てるな!」。石原家では父・慎太郎の睡眠が何よりも優先され、少しでも騒ぐとすぐに母・典子さんに叱られたという。
2つ目は「朝食は3種類、用意せよ!」。典子さんは慎太郎のために、毎朝ご飯、パン、麺類の3種類を準備。慎太郎が自分の体調に合わせて、メニューを決めていたという。番組では、そんな慎太郎の食事の様子をとらえた貴重なプライベート映像や、典子さんへのインタビュー映像を公開する。
3つ目は「子供とは夕食を食べない!」。石原家の夕食は完全2部制。騒がしい子供たちと一緒に食べたくないと、まず典子さんや子供たちが食事し、その後、慎太郎が1人で食事したという。
そんな独特な石原家における、父・慎太郎と母・典子さんとの意外な関係性を良純が語る。また、特殊な家庭環境で育った良純は、幼少期から不眠症に悩まされていたことをテレビ初告白。良純が不眠症を患った原因とは。
慎太郎の父・潔さんは、慎太郎と裕次郎がまだ10代の頃に若くして急死。突然、一家の大黒柱を失った石原家は経済的に困窮、裕次郎は失意に暮れた。こうした状況の中、慎太郎は一橋大学在学中に小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞。この小説が映画化される際に俳優を夢見ていた裕次郎を出演させた。
この出演を皮切りに、裕次郎は主演した映画「嵐を呼ぶ男」(1957年)が空前の大ヒットを記録するなど、スターへの階段を一気に駆け上がっていく。慎太郎が都知事選に出馬した際、裕次郎は俳優デビューのきっかけを作ってくれた兄への恩返しとして、多忙にもかかわらず長期間にわたって応援演説を行い、強い兄弟の絆を示した。番組では慎太郎と裕次郎が1度だけテレビでデュエットを披露した映像を公開する。
1987年、惜しまれつつも52歳の若さでこの世を去った裕次郎。彼は死の直前、ハワイで闘病生活を送った。この時、良純は家族を代表して1人で、叔父を見舞っていた。良純が目にしたのは、体力が衰え弱り切った叔父・裕次郎。良純は、この時の裕次郎とのエピソードを詳細に語る。
さらに、良純と、神田正輝、徳重聡の鼎談も実現。3人は、闘病中の裕次郎の様子や、裕次郎亡き後の石原軍団、そして渡哲也とのエピソードなどを語り合う。また、良純は坂上との対談の中で、父・慎太郎との現在の関係性についても明かす。
シングル45作品、オリジナルアルバム11作品、総楽曲数約150曲を発表した伝説のバンド・ZARD。そのボーカリスト・坂井泉水が40歳の若さで早世してから今年で12年。番組では「負けないで」などZARDの数々の名曲でバックコーラスを務めていた大黒摩季や、ZARDのミュージックビデオの監督を務めた映画監督の岩井俊二をはじめとした関係者を徹底取材。そして、めったに公に姿を見せなかったため、「存在しないのではないか」という都市伝説まで生まれた坂井のレコーディングの際のオフショットなど貴重な映像の数々を公開する。
さらに、坂井が残した500枚にもわたる直筆メモなどを入手し、アーティストとしてのこだわりを紹介しながら坂井の生涯を振り返っていく。大黒や岩井が見た、素顔の坂井とは。晩年は病に苦しんだ坂井と同じく、自身も婦人科系の病を患った大黒が涙で語った坂井のエピソードや、闘病中も歌い続けた坂井の秘話とは?そして、坂井の最期に立ち会った関係者が明かす、坂井の死の真相とは。
『直撃!シンソウ坂上 SP』
フジテレビ系
10月17日(木)後7時57分~9時54分
<出演者>
MC:坂上忍
VTR出演:石原良純、神田正輝、徳重聡、坂井泉水(ZARD)、大黒摩季、岩井俊二 他
スタジオゲスト:高良健吾、小峠英二(バイきんぐ)、松嶋尚美
公式HP:https://www.fujitv.co.jp/shinsou/
公式Twitter:@ss_fujitv
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