9月26日(日)放送の『情熱大陸』(MBS/TBS系 後11・00~11・30)に、庭師の川上裕が登場する。
印象派の画家クロード・モネが後半生を捧げて描き続けた睡蓮。あまたの傑作は、モネが43歳の時に移り住んだフランス・ジヴェルニーの「自宅庭園」に咲く睡蓮をモデルにしている。
高知県にある“北川村「モネの庭」マルモッタン”は、フランスのモネ財団から、世界で唯一モネの名を冠することを許された庭園だ。全体で3ヘクタールに及ぶ庭の管理を担っているのが、庭師の川上だ。
10人ほどのスタッフたちと共に、本家ジヴェルニーの「モネの庭」を手本としながら、モネの絵画に学び、円形に整えられた睡蓮、水面に映り込む木々の植栽、ナチュラルさを感じさせる花の配置と色彩感、モネが愛した光景を繊細に再現し、守り続けている。
存命中のモネが咲かせたいと願いながら、ジヴェルニーの気候が適さずかなわなかった熱帯性の「青い睡蓮」が見られるのは、高知ならではだ。
庭づくりと聞くと優雅なイメージを持つが、その実態は驚くほど過酷だった。取材に訪れた8月上旬、通過したばかりの台風の爪痕が庭のいたるところに残り、川上は復旧作業に追われていた。さらに、その後の長雨による日照不足で睡蓮の花数も激減。川上は「ジヴェルニーと高知では気候が大きく異なる、庭づくりの条件としてはとても厳しい…」と語る。
そんな中、ジヴェルニーの「モネの庭」で長年責任者を務めてきた庭師ジルベール・ヴァエ氏による視察が行われることになった。昨年4月に来日予定だったがコロナ禍によりかなわず、今回はリモートでカメラを通して庭の現状を見てもらうという。モネの名を冠するからには、どんな悪条件が重なろうと、その名に恥じない庭を維持しなくてはいけない。
「庭の状態が悪ければ、いつモネの名を取られてもおかしくない」と川上は、強風で枝が折れた柳を剪定し、無数の倒れた花の茎を支柱に巻きつけ、雨に打たれながら池で睡蓮の葉を整える。
モネの愛した光景を取り戻そうと一心不乱に植物と向き合う様は、まるでモネに雇われた庭師のよう。モネ、ジヴェルニー、北川村…3つの点を結ぶ、庭師のひと夏の奮闘を追う。
<庭師/川上裕 プロフィール>
1961年、高知県生まれ。農業を営む両親の元、幼い頃から植物に親しみ、5歳の時には庭に小さなマイガーデンを持っていた。いつしか農家を継ぎたいと思うようになるが、両親から「公務員など安定した仕事に就いた方がいい」と諭され、大学受験に挑戦するも3度失敗、地元の銀行に就職する。それでも植物への思いは絶ちがたく、30歳で造園会社に転職。樹木だけでなく、花を扱いたいという思いで『北川村「モネの庭」マルモッタン』の庭園管理責任者に就いたのは42歳の時。モネの世界観を理解するために、フランス・ジヴェルニーの「モネの庭」を度々訪れ、モネの絵画にある色彩・光・空気感、その全てを庭づくりのインスピレーションとして日々の仕事に取り組んでいる。2015年には、フランスの芸術文化勲章「シュヴァリエ」を受章。「私は、モネに雇われた庭師のつもりで仕事をしています」と語るその風貌は、どこかモネを思わせる。
©MBS