中国語が堪能で、武術やアクションもこなす女優の中西悠綺さん。幼いころから女優志望だったという中西さんは、これまでどのような道を歩んできたのか――。「週刊ヤングジャンプ」のコンテスト「ギャルコン2021」でグランプリを獲得、人生初の水着グラビアにも挑戦した“女優・中西悠綺”の素顔に、2回にわたって迫ります!
◆幼いころから女優に憧れていたそうですが、芸能界に入るきっかけは何だったんですか?
13歳の時にアイドルグループのオーディションを受けたのがきっかけでした。そのオーディションは当時通っていた養成所の先生が教えてくれたものだったんですが、女優を目指していたのになぜアイドルのオーディションに応募したかというと、そのアイドルグループを募集していたのが、女優さんが所属している事務所で、いつか女優デビューするきっかけになるかもしれないと思ったからなんです。そのアイドルグループはメジャーデビューもして、13歳から18歳までの5年間、センター兼メインボーカルを務めていました。
◆オーディションはいかがでしたか?
最初に書類審査があって、その後の審査はすべて東京で行われたので、そのたびに実家のある三重県から東京に行ってましたね。最後のほうは公開オーディションだったのでお客さんの前で自己紹介したり、歌を歌ったり。特技を披露する審査では何かしらのインパクトを残したいと思って、開脚しながら山手線の駅名を全部言うという、よく分からない特技を披露しました(笑)。
◆それはウケたんですか?
そんな変なことをする人はほかにいなかったので、皆さんの印象には残ったんじゃないかと思います(笑)。
◆そのオーディションに見事合格したわけですが、中学生で仕事のたびに三重から東京に通うのは大変だったんじゃないですか?
学校を早退して東京に行って、アイドルのお仕事をしてから終電で三重に帰ってくる日々の繰り返しだったので、結構ハードでしたね。それでも温かい気持ちで応援してくださった皆さんのおかげで乗り切れたと思ってますし、その経験があったから今も頑張れているところはあると思います。
◆アイドル時代、周りの人たちの反応はどうだったんですか?
学校では、先輩や後輩もみんな応援してくれていました。私は何も言ってないのに、新しい曲がリリースされるたびに、お昼の校内放送で曲を流してくれて。「○年○組の中西悠綺さんが活動されている…」みたいなことも言ってくれて、すごくうれしかったです。先生方もすごく理解があって、応援してくれていました。
◆すてきな学校ですね。
三重県は温かい人ばかりで、めちゃめちゃいいところです!