『おぎやはぎの愛車遍歴』元ホンダF1エンジン開発者と「ホンダコレクションホール」で歴史をひもとく

バラエティ
2025年02月21日
『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』
『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』

2月22日(土)放送の『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』(BS日テレ 午後9時~9時54分)は、元ホンダの自動車エンジニア・浅木泰昭さんがゲストとして登場する。

今回は、N-BOXやオデッセイなどの開発者で、F1のパワーユニット開発責任者も務めた浅木さんが再び登場。ホンダのミュージアム「ホンダコレクションホール」(栃木県芳賀郡茂木町)から、ホンダが情熱を注ぎ込んできた数々のクルマとともに、“技術のHONDA”の歴史をひもとく。

まず登場したのは、何やら数々の部品が付けられた自転車。浅木さんが「これが一つの原付というカテゴリーになっていく」と説明する1台には、驚きの生活用品が使われていた。

創業者の本田宗一郎の技術屋スピリットを原動力に、63年にはホンダ初の四輪車として、軽トラックのT360、スポーツカーのS500を販売。また宗一郎は当時、乗用車を巡るある法律に対し、新聞コラムで猛抗議。その熱血エピソードも披露される。さらにその1年後には、早くも自動車レース最高峰のF1に参戦。二輪車開発の技術が先行していたホンダだけに、浅木さんによると「最初のクルマは本当に二輪メーカーが作った感じ」と、その特徴を解説。その翌年には、F1で初優勝。浅木さんは、エンジニア魂を感じる秘話も披露する。

初期のホンダの象徴的な乗用車といえば、ミニマムなフォルムが特徴的なホンダ初の軽乗用車・N360。「爆発的に売れて、これでようやく自動車メーカーっぽくなった」という浅木さん。自身にも深い関わりがあるクルマだそうで…。

1969年式のホンダ1300も登場。実はこの1台、開発を巡り宗一郎と若手技術者との間でモメにモメた1台だという。頑として曲がらない宗一郎の信念に、浅木さんは「まあ、無理筋ですよね」と笑わせつつ、技術的な難しさを解説。宗一郎の社長退任にまでつながった激震と、その後のホンダの歴史につながる感動的な物語を知ると、MCのおぎやはぎ・矢作兼は「うわあ~、いい話!」と思わず声を上げる。

ホンダは64年から第1期F1活動をスタート。87年にはコンストラクター(製造者)部門とドライバー(ネルソン・ピケ)のダブルタイトルを手にし、黄金期が始まる。ここから、F1のエンジン開発に従事した浅木さん。当時、無敵を誇った1台がホールにも飾られており、浅木さんは「僕の青春」としみじみ。小木博明も「俺の青春でもあるかも」と、当時を懐かしむ。また浅木さんは当時、宗一郎とも1度会ったことがあるという。初対面で宗一郎が取った行動に「みんな、困ってました」と当時を振り返る。

浅木さんは2015年からの第4期F1活動にも、定年を延長して参加。2019年には第4期で初優勝を成し遂げた。当時のホンダエンジンが抱えていた問題点と、その解決方法におぎやはぎも驚く。

最後には、浅木さんが開発者人生で最も苦労した1台が登場。技術者との涙のエピソードも。さらに、EV化が進む現在の自動車業界にも思うところを語る。

番組情報

『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』
BS日テレ
2025年2月22日(土)午後9時~9時54分

出演者:おぎやはぎ、今井優杏(自動車ジャーナリスト)
ゲスト:浅木泰昭

©BS日テレ

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