映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が公開され、初日舞台挨拶が行われた。
舞台挨拶には佐古忠彦監督、瀬長亀次郎の次女である内村千尋が登壇した。公開初日を迎えた心境を聞かれると、佐古監督は「桜坂劇場では、長蛇の列ができていて感激しました。お客さんの表情を見ていると“ 亀次郎に会いにきた”というような表情をしていました。亀次郎の演説がある日は家族揃って早く晩ご飯を食べて演説会に駆けつけた、という話をたくさん聞いたのですが、まさにその時と同じように駆けつけてきた、そんな表情でした。その表情をみて、いかに亀次郎が愛され、今も尚求められているかを実感しました。東京でもこんなにたくさんの人が来てくれ、感激しております」と語った。続けて内村が「沖縄では、亀次郎の名前は知っているけれど、どういうことをした人なのか知らないという世代が増えています。沖縄の人にも観てもらいたいですが、全国でこの映画を観てもらえるよう、願っております」と話した。
今回なぜ、瀬長亀次郎さんを取り上げたのかと聞かれた佐古監督は「私自身 20年間沖縄に通い続けていたので、瀬長亀次郎の存在は知っていました。95年の“少女暴行事件”をきっかけに県民大会が復活し、何故こんなにも県民大会が続くのか探ってみると、瀬長亀次郎の時代に辿りつきました。亀次郎を通じて戦後史をみると、何故今沖縄の人々が声を上げ続けているのか、何故今も基地問題が続いているのかが見えるような気がして去年、瀬長亀次郎のドキュメンタリーを放送しました。これが“こんな人物がいたんだ”などの多くの反応をいただき、さらに少しでも多くの方に観ていただけたら、今の沖縄問題の理解に少しでも繋がればと思い、この映画をつくりました」と説明。
内村は、亀次郎について聞かれると、「沖縄県民には、亀次郎の生き様に憧れや共感を感じる人がいると思いますが、私にとっては普通の父でした。佐古監督の資料などを観て、父はこんなに米軍を震え上がらせていた人だったのか、とびっくりしました。実は家で父は掃除、洗濯をやっていたんです。なので父が国会議員になって東京にいってしまうと洗濯係がいなくなってしまって。それで母が洗濯機を買ったんです」などと亀次郎の次女だからこそ話せる、意外なエピソードを披露。続けて佐古監督は、「亀次郎がいつも言っていた言葉の中に“小異を捨てて大同につけ”という言葉があります。色々違いはあるけどこの時は一つになろうと。その言葉にも何故今も沖縄が声を上げ続けているのか、それが見えてくるような気がしています」と話した。
最後に観客の方へメッセージを問われると、佐古監督は「沖縄の人がどう感じてくれるか気になりますが、特に本土の人にも広めたいという気持ちが強くあります。気に入っていただき、少しでも沖縄の現状の理解につながればと思っておりますので、周りの方にも是非勧めていただけたら嬉しいです」と締め、本イベントは盛況で幕を閉じた。