6月20日(木)の『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ刑)は、今から10年前、2009年に62歳で逝去した女優・大原麗子の孤独死の真相に迫る。
「テレビタレントイメージ調査」の女性部門で13度も1位を獲得、日本を代表する女優として順風満帆な人生を送っているかのように思えた大原がなぜ孤独死を迎えなければならなかったのか。番組では、大原が姉と慕い、30年以上の付き合いがあった女優・浅丘ルリ子、大原へのインタビュー経験のある芸能リポーター・前田忠明、そして大原の孤独死の第一発見者となった実弟・大原政光氏にインタビュー。さらにはフジテレビに残る大原の貴重映像などを基に「人間・大原麗子」を浮き彫りにしていく。
番組MCの坂上忍は、大原がどんな人物だったのかを聞くために、浅丘の元へ。これまでいくつもの大原の追悼番組があったが、浅丘が自らの言葉で大原について語るのは今回が初めて。
大原は「私を5番目の妹にして」と浅丘を慕い、浅丘の父親の最期をみとるほどの付き合いだったという。今回のインタビューのために前日、過去に大原と結婚していた森進一に電話して大原とのエピソードを聞いたという浅丘は、大原と森の離婚の真相や、素顔の大原について語る。
また、大原と森の離婚に関し、大原の実弟・大原政光氏も証言。大原が森の子供を妊娠し中絶したという、親友の浅丘さえ知らなかった衝撃の事実が明かされる。大原が中絶を決意した背景にあったものとは。
女優としてのキャリアを着々と積んでいた大原だが、20代の終わりに免疫システムの不具合から手足のマヒなどを引き起こす病「ギラン・バレー症候群」を発症してしまう。しかし、大原は1年間の療養で病を克服。現場復帰してからも『男はつらいよ 噂の寅次郎』(松竹/1978年)、『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(松竹/1984年)などの映画や、大河ドラマ『春日局』(NHK/1989年)などに出演を果たす。しかし、50代を迎える頃には主演級のオファーが激減したものの、納得のいかない仕事は全て拒否。撮影現場でも監督に対してセリフのダメ出しをするなど、スタッフと折り合えない大原には、次第に業界内では「扱いづらい女優」というイメージが定着してしまう。
女優としてのプライドを決して曲げなかった一方で、自身が老いていく現実も感じ取っていた大原は、53歳の時に左目の一重まぶたを二重まぶたにする整形手術を受けるが、術後にまぶたが腫れ上がってしまい、完全に失敗。これは、知名度が高い大原が、整形手術したことが世間に知られることを心配し、名の通った病院よりも「モグリ」のような医師を選んだためだった。
その代償は大きく、整形失敗を境に仕事は完全になくなってしまう。こうしてマネージャーや運転手などのスタッフが大原の元を離れていっただけでなく、克服したはずの「ギラン・バレー症候群」も再発。
さらにこの頃、大原が愛していた母親の介護も重なり、彼女は追い詰められた結果、そううつ病まで患うことに。複数の薬を大量に摂取したこともあってか体と心の調子を崩し、大原は自宅に引きこもる生活を続ける。
いつしか大原は、友人や仕事関係者に時間を問わず電話をかけ「なぜ自分を(映画やドラマに)使わないのか」などと悪態をつくような状態に。これには親友である浅丘も「優しかった麗子がどうしちゃったの?」と心配しつつ、大原との距離を置かざるを得なくなるほどだったという。
その大原に「自宅に取材に来い」と呼び出されたのが芸能リポーター・前田忠明。当時の大原を「完全に普通じゃなかった」と語る前田。番組では、前田が大原の自宅を取材した時の映像を特別に公開する。
こうして芸能界で孤立してしまった大原に救いの手を差し伸べたのが、1973年に結婚した最初の夫である俳優の故・渡瀬恒彦。2人の結婚生活は約4年半で離婚という結末を迎えていたが、渡瀬は大原のことを心配し、自身が主演を務めるドラマ『十津川警部シリーズ』への出演を大原に勧める。この時の『十津川警部シリーズ 東北新幹線「はやて」殺人事件』(TBS系/2004年12月27日)が大原の遺作となった。
番組では、大原と渡瀬が新婚当時に渡瀬の地元・淡路島で仲むつまじく過ごす様子をとらえた超貴重映像も公開。さらに、実弟・大原政光氏が語る大原の孤独死の状況や、浅丘が語る最後に大原と会った際の彼女の様子などを通して、「人間・大原麗子」に迫っていく。
『直撃!シンソウ坂上』
フジテレビ系
6月20日(木)後9時~9時54分
<出演者>
MC:坂上忍
VTR出演:大原麗子、浅丘ルリ子、前田忠明 他
スタジオゲスト:清水ミチコ、小沢一敬(スピードワゴン)
公式HP:https://www.fujitv.co.jp/shinsou/
公式Twitter:@ss_fujitv
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