4月25日(日)放送の『情熱大陸』(MBS/TBS系 後11・25~11・55)に、靴修理職人の村上塁が登場する。
横浜最古参の靴店ともいわれる「ハドソン靴店」。店を構える松本町は、横浜駅にほど近い場所にありながら、豆腐店のラッパの音が聞こえる懐かしい風情が残っている。
2代目店主・村上塁の元には連日、日本全国から靴修理の依頼が舞い込む。それらの靴はいずれも他の修理店で断られた“特別な修理を必要とする靴”だ。損傷が激しくそのままでは履けないが、持ち主にとっては思い出の詰まった唯一無二の靴。村上が営む「ハドソン靴店」は、それらの処分するには忍びない靴たちの最後の駆け込み寺となっている。
この靴たちを、この先10年20年と履けるように修理するのが靴修理職人の村上の仕事だ。その技術は先代・佐藤正利さんから受け継いだ伝統の技法に裏打ちされている。
佐藤さんは吉田茂元首相や石原裕次郎など著名人の靴を作ってきた“靴の神様”と呼ばれた名人。2011年にその先代が急逝したため、最後の弟子だった村上が店を継いだ。
しかし、オーダーメイド靴は既に斜陽の商売で、店は閑古鳥が鳴く。そこで思いきって『修理専門店』として再出発することにした。
店に持ち込まれる傷んだ靴はタイプも千差万別。村上はどんな靴でも対応できるように、革の部材を特注し、数百種類をそろえている。染色液も数百種類、模様を焼き付けるコテだけでも100種類以上を常備し、そもそもの本業だった“オーダーメイドの技術”を駆使して修理を行っている。必要とあらば数百万円する機材への投資もいとわない。
取材中、父の形見だという40年以上前のハーフブーツが持ち込まれた。靴底は真っ二つに割れ、瞬間接着剤で補修しようとした跡もある。それが災いしたのか革の損傷も激しい。このブーツを再び履けるようにしてほしいとの依頼に村上はどう応えるのか。思い出が蘇る靴修理の世界に迫る。
<靴修理職人/村上塁 プロフィール>
1982年、神奈川県横浜市出身。38歳、独身。
テレビで見たオーダー靴を作る職人の姿に憧れ、大学を中退し靴の専門学校へ。
その後師事した「ハドソン靴店」の先代が亡くなると、村上が2代目として店を継いだ。
靴の製造で培った技術を生かし、他店では断られるような“特別な修理を必要とする靴”を引き受けるようになると、噂が噂を呼び日本全国から修理依頼が殺到するように。
現在では日本屈指の技術を持つ靴修理職人として目の肥えた客の信頼を集めている。
ハドソン靴店は創業60年(村上が継いで10年)、年間1500足の靴を修理している。
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