DDTプロレスが5月24日に都内で記者会見を行い、同団体の“紅一点”赤井沙希が11月12日の東京・両国国技館大会をもって引退することを発表した。
元プロボクサーで俳優・赤井英和を父にもつ赤井はモデル、タレントとして活動していたが、高木三四郎社長のスカウトを受け、2013年8月13日の両国大会でプロレスデビューを果たす。芸能活動と両立しながら、プロレスでも非凡な才能を発揮。そのファイトぶりが認められ、2014年度の「プロレス大賞」(東京スポーツ新聞社制定)の新人賞を女子選手として初めて受賞した。2016年の「DDTドラマチック総選挙」では個人9位に入り、高木社長に請われて正式にDDTに入団。その後、DDTには欠かせない選手として活躍し、今年8月でデビュー10周年を迎える。
冒頭、赤井は「こんなにも未熟な私をいつも温かく応援し、見守ってくださっている皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。約10年前、客席からDDTを見ていて、“なんてメチャクチャで愛しい団体なんだろう”と夢中になり、ひょんなことから高木大社長から“プレイヤーにならないか?”とお声をかけていただき、悩みに悩んで親に大反対されながらも両国国技館でデビューしたことが、ついこの間のことのように感じられます」と振り返る。
「もっともっとDDTを知ってもらいたい。自分が今持っているものや経験してきたものが、何かDDTの力にならないかと、いろんなことに挑戦し、DDTの歯車の一部になれることを誇りに、この10年間、1度も止まることなく走り続けてまいりました。未熟な私は足りないものがたくさんありましたが、皆さまからの温かい声援が、弱い私の力となり、自分の強さや自信へと変わっていきました。そんな皆さまからの力とともに、私は“強く気高く美しく”をモットーに日々リングに立ち続けてまいりましたが、10周年を迎える今年、この節目の年にケジメを付けることで、それもやっと完成されるのかなと思いました」と話した。
続けて「私、赤井沙希は、デビュー10周年を迎える今年、2023年11月12日、デビューした場所でもある両国国技館にてプロレスラーを引退することを決意いたしました。私は枯れて朽ちていく花ではなく、美しいまま散る花でいたい。それこそが赤井沙希のプロレス道の最終地点だと思っております。ファンの皆さまのなかで、いい状態の赤井沙希が美しい思い出として存在し続けられることが自分にとっての一番の理想です」と。
「寂しさや悲しさがないと言えばウソになりますが、これも私にとってのDDTやファンの皆さまに対する一つの愛の形であり、私の美意識だということをご理解いただきたいと思います。こんなにも夢にあふれる世界にいられる喜びを、いつも強く感じていて、本当にたくさんの経験をさせていただきました。皆さまからいただいた温かい思いを、プロレスラーとして試合でお返ししていけますよう、引退するその最後の日まで自分らしく、ブレずに、全力で駆け抜けてまいりたいと思っております。引き続き、DDTプロレスを、赤井沙希をよろしくお願いいたします」と思いの丈を述べた。
会見に同席した高木社長は「赤井さんをこの業界にスカウトしたのは私なんですけど、正直、赤井さんの口からもありました通り、結構、お母様の猛反対もあったりで。本当にそのときのことが思い浮かぶんですけど。赤井さんはポテンシャルも高くて、プロレスのリングにいたらすごく映えるだろうなと思っていまして、この世界にスカウトさせていただいたんですけど。本当にすごく、お母様が反対されてましたね。僕はお母様に納得していただくために、“赤井さんを必ず立派なプロレスの選手に、DDTが責任を持って育てます”と言わせてもらいました。それで、お母様のご了解も得て、“じゃあ1年頑張りなさい”と言っていただいたのが10年以上前の話なんです」と明かす。
「本当に今のように思い出されるんですけど、そこから赤井さんの頑張りもあって、翌年にはプロレス大賞新人賞を受賞しました。そこから赤井さんは、本当にDDTのことが大好きで、DDTを愛してくれていました。ずっと私にも、“私は本当になんでも好きになったプロレスのために、好きになったDDTのために何かDDTが世の中に広まることでしたら私は何でもやらせてください”と言っていただいたのが、すごく私自身もうれしく感じまして、誇りに思っていました」と。
「最初は本当にお母様との約束もあったので、1年か2年かなと思っていたんですけど。やっぱりDDTを愛し続けてくれて、今年10年を迎えたなかで、たぶん彼女のなかでもいろんな思いがあって、この引退を決心したんだろうなと思っています。僕らDDTができることは、美意識が高い赤井沙希を、本当にキレイで美しく送り出してあげることかなと思っています。本当にDDTを好きになってくれて、ありがとう。あなたは本当にDDTの家族の一員です。引退してもずっと、家族の一員だから。だから、赤井さんの引退ロードはDDTが責任を持って、美しく送り出してあげたいと思います」とコメントした。
引退後のプランについて、赤井は「今行っている(美容)サロンですとか、プラチナム(プロダクション)に所属していたりとか、そういう活動は引き続きやらせていただきます。ただ、今は自分のプロレス人生をどう全うするかということに全力で集中したいと思っておりますので、今はそれに全部かけたいと思っております」と明言は避けた。
引退を考え始めた時期に関して、赤井は「プロレスをやっていると、本当に目の前のことにひたすら一生懸命になるしかなくて、あまり自分の終わりのこととかは考えていなかったんですけど。8、9年目あたりから、周りの方から“もうすぐ10周年だね”ってたくさん言われるようになりまして。長く続ける美学もあると思うんですけど、私の場合はさっきお話した通り、“美しく散る花でいたい”という思いが強いので、この10周年というタイミングが一番の理想かなと思い、意識をするようになりました」と説明。
今年2月に赤井から引退を切り出されたという高木社長は「最初聞いたときは正直驚きました。というのは、やっぱり10周年を迎えているなかだったので。10周年を迎えて、赤井さんのなかで、“ここを1つの区切りにして”という覚悟がすごく見えたので。自分としては、本当に派手に、美しく送り出してあげたいなって気持ちになりました。(慰留は?)引き止めはしなかったですね。決心が固いだろうなと思っていたので」と語った。
引退試合の希望について、赤井は「私以外DDTは男性の選手なんですけども、私は10年前に両国国技館でミックストマッチで生まれたので、自分の希望としてはミックストマッチで終わりたいなと思っております。まだカードに関してなどは、本当にこのことは会社のなかでもシークレットで進んでいたので、これから少しずつ自分の意向と会社の意志をすり合わせて進めていけたらと思っております」と言及。
さしあたって、7月23日にも両国国技館でのビッグマッチが開催されるが、赤井は「自分のなかですごく思い出深いベルトというものがありまして。やっぱりプロレスラーである限り、チャンピオンベルトを目指すものだと思っているんですけど。自分のなかではKO-D6人タッグというベルトが一番思い入れ深くて、そこに挑戦できるように頑張れたらなと思っております。今、私のパートナーであるお師匠様の坂口征夫選手、そして岡谷英樹選手、この2人が今の自分の大切なパートナーで。この3人で自分たちの腰にプロレスラーとしての証を刻みたいと思っておりますので、そこに挑戦できるよう今から頑張りたいと思っております」とKO-D6人タッグ王座への挑戦を希望。
すると、高木は「KO-D6人のベルト、今は樋口和貞、中津良太、石田有輝。ハリマオですね。樋口は元イラプションでもありましたし、元々防衛戦はちょっといろいろと考えていたところではあったんですけど、赤井さんのその気持ちがあるのであれば、KO-D6人のベルト、もう社長判断で決めます! そこ、決定で!」と即決し、7・23両国でのKO-D6人タッグ王座戦が電撃決定した。
残された6か月弱の引退ロードで、やりたいことに関して高木は「8月13日(後楽園ホール)での10周年記念大会、9月30日の地元凱旋の京都(KBSホール)大会、そして11月12日の両国国技館大会、先ほどお話しがありました7月23日の両国もそうなんですけど。それ以外でも後楽園大会や地方大会などでもタイミング、いろいろなものが合えば記念試合的なものも組んでみたいなと思っています」と。
「この記者会見自体も本人の意向もあって、なるべくシークレットで進めていたところもありましたので、これからたぶんいろんな人に話をしていくことになるのかなと思いますので、すべてはこれからかなと思っています。ただ、本当にやるからには、赤井選手自体が一生の記念に残るものだったり、世間的にもインパクトのあるものだったりをマッチメイクしていきたい」と意欲を見せる。
赤井は「この残りの半年間、長いようで本当にあっという間だと思うんですけど、DDTで本当にたくさんの経験をさせていただきましたが、DDTの魅力って、他のプロレス団体にはない、リングの中だけでは終わらない、いろんな未知なる可能性がDDTにはあると思うので。この半年間でDDTらしい試合を、DDTの選手として全力で駆け抜けてまいりたいと思っております。今までお世話になった選手、そしてまだ触れたことのない、闘ったことのない選手もチャンスがあるなら試合したいと思っております。私とこの残りの半年間でやりたい選手がいれば、ぜひDDTに上がってきてください」とコメント。
最後に「ファンに伝えたい思い」を聞かれると、赤井は「本当に私は未熟で、すごく弱いです。でもプロレス界に入って、ビックリしました。ファンの皆さまって、本当にリングに立っている私たちと同じように闘ってくれて、一緒に喜んでくれて、泣いてくれて、一緒に悔しがってくれて。本当に客席とリングではありますが、同じチームだと私は思っています。皆さまがいなかったら、今の私は本当に存在していません。今、私が持っている成果や評価は、ファンの皆さまがいてくださったからこそ、今自分はここに存在しています。ファンの皆さま、私をプロレスラーにしてくださってありがとうございます。大好きです」と涙でメッセージを送った。