◆舞台を拝見しましたが、同じせりふで、同じような動きをしているのに、2組から感じられる感情はまるで違うものでした。特に、せりふ(会話)の中にしか登場しない男(夫/不倫相手)の印象が大きく違ったことに驚きました。
そうですね。目の前にいない第三者の人物像というものは、語り手によって大きく違ってくる。それがよく分かる非常に面白い舞台になったなと思います。ただ、僕自身はあえて2組の印象を変えようと思って作ったわけではないんです。むしろ、稽古をしている時はひたすら “同じふうに”と思いながら作っていました。それでも結果的に違いが出てしまったのは、僕にはまとめることができなかったという査証なのではないでしょうか。もちろん同じように作ったものがご覧になった方に違って見えるのは、演劇的には非常にいいことだと思いますけどね。
◆コロナ禍の影響で稽古にも制限が出てくるというお話がありましたが、作風に関してはいかがでしょう? 今後の作品のテーマなどに何かしらの影響が出ると感じていますか?
僕はそんなに関係ないと思いますよ。ネタの1つとして作品の中に盛り込むことはあるかもしれませんが、劇作に関してこれが何かしらの契機になるとは思わないです。ただ、将来的なことを言えば、コロナとは全く関係のない話ですが、僕自身はこの数年で演劇に対する考え方がいろいろ変わってきているというのはあります。
◆それはどのような変化なのでしょう?
極端な言い方をすると、これまでずっと1人でやってきたものが、“…いや、これはみんなで作っているんだ”というふうに思えるようになったんです。しゃかりきに自分でホンを書いて、演出をしてきたつもりでしたけど、…なんと言いますか、ちょっとは他人の力を利用することの豊かさにやっと気づいたところがあります(笑)。すごくおこがましいことなんですが。そんな話を少し前にちらっと風間杜夫さんにしたら、「何いってんだ、今ごろ!?」って言われましたけどね(笑)。