松本幸四郎さんが主演を務めた「三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち」がCS衛星劇場で初放送! 本作は、江戸末期にロシアに漂流し、10年の歳月をかけて帰国した大黒屋光太夫の実話を基にした予測不能の歌舞伎ロードムービーとして、上演当時大きな注目を集めたもの。シネマ歌舞伎として新たに生まれ変わったこの舞台の思い出を幸四郎さんにたっぷりと伺いました。
◆2019年に歌舞伎座で開催された「三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち」は大盛況で幕を閉じ、翌年に映画館で上映されたシネマ歌舞伎も大きな話題となりました。改めて、この作品が作られた経緯を教えていただけますか?
三谷幸喜さんと歌舞伎でご一緒するのは2006年に上演したパルコ歌舞伎「決闘!高田馬場」以来で、三谷さんにとってはそれが初めての歌舞伎作品でした。その直後から、「またやりたいですね」「次はどんな作品をやりましょうか?」という話をしていたんです。でも、そこから13年も経過してしまって…随分と時間がかかってしまいましたね(笑)。
◆今回の「三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち」については、どのような打ち合わせを?
僕は三谷さんを全面的に信頼しておりますから、ご提案いただいたものをそのまま受け入れただけです。2人だけで打ち合わせをした際に三谷さんがおっしゃっていたのが、“歌舞伎座で上演したい”ということと、“みなもと太郎さんの原作漫画「風雲児たち」を基にした大黒屋光太夫の物語を書きたい”ということでした。また、出演者に関しても、三谷さんのほうから市川男女蔵さんと息子の市川染五郎にもぜひ出てもらいたいというお言葉を頂きまして。特に染五郎にとっては、こうした感情を直接的に表現できるお芝居は初めての経験になりますので、その機会を下さったことが僕としてもすごくうれしかったのを覚えています。
◆三谷さんと歌舞伎作品を作るのは2作目になりますが、特に意識したのはどんなことでしょう?
「決闘!高田馬場」の時もそうでしたが、ご本人は義太夫を取り入れたりと随所に歌舞伎要素を盛り込む工夫をされていました。でも、今作に関していえば、僕は三谷さんが歌舞伎座でお芝居を作ることに意味や意義があると思っていたんです。ですので、“歌舞伎らしく”というこだわりを持つ必要はなく、極論を言ってしまえば、完成したものが果たして歌舞伎なのかどうかも、ご覧になった方が判断すればいいのではという考えでしたね。
◆なるほど。では、幸四郎さんが感じる三谷さんの舞台の魅力とは?
これは歌舞伎に限らずですが、三谷さんって、稽古で具体的な指示や細かい演出をつけることがあまりないんです。でも、出来上がってみるといつの間にか、出演者全員が三谷さんの世界の中に存在している。テンポ感も含め、見えない糸で操られているようなんですよね。そこがいつも不思議で、面白いところだなと思います。
◆まさに三谷マジックですね。
ええ。それに、三谷さんの舞台作品を拝見するとワンシチュエーションの物語が多く、そこも魅力なのですが、「決闘!高田馬場」では「ずっと場面転換しているようなお芝居を作りたい」とおっしゃっていたのが印象的でした。いっぽう、「月光露針路日本」では、登場人物たち1人ひとりの人生を描くことがやりたいことの1つだったそうで。そうやって毎回新たなことに挑戦しながらも、しっかりと三谷ワールドが出来上がっている。そこも素晴らしいところですよね。
◆確かに、この「月光露針路日本」ではそれぞれにしっかりとスポットが当たっていて、それだけにコメディでありながらも重厚さも感じました。そうした中で、幸四郎さんは主人公・大黒屋光太夫を演じられましたが、この人物についてはどのような印象を持たれましたか?
これは実際に大黒屋光太夫記念館に伺った際に館長さんから聞いた話ですが、当時はロシアに漂流する日本人は意外と多く、同時に、見知らぬ地故に、いろんな不安から仲間割れしていくことがほとんどだったそうなんです。でも、光太夫たちのチームは決して仲間割れすることがなかった。かといって、光太夫自身は“俺についてこい!”というタイプでもなく。それでも、いざという時には彼を中心に1つになっていった。そうした不思議な魅力のある人物だったんでしょうね。
◆力づくではなく、意図せずともリーダーシップが取れる人だったからこそ、周りも自然と付いていったのかもしれないですね。
そうだと思います。また、ロシアに漂流した日本人はみな、現地で手厚い保護を受けていたため、日本に帰ってくることがなかったそうなんですが、光太夫たちだけは10年かけてでも必ず戻りたいという思いを強く持っていた。いわば、帰国した唯一の船乗りたちだったわけです。しかも日本に帰ってから、その経験を生かして政治家になったということもなくて。本当に普通の人で、ロシアに漂流して戻ってきたという事実だけで歴史に名を残した希有な人物なんです。そうした素朴さに僕はひかれましたし、役を演じる上でも意識したところですね。
◆いっぽう、ほかの登場人物たちに目を向けると、1人の役者さんが何役も担当したり、場面によっては女形としてロシア人女性を演じたりと、歌舞伎らしい要素が満載でした。
印象的だったのが、お客様の中でロシア人とよくお仕事をされている方がいらっしゃいまして、観劇後に、「三谷さんはものすごくロシアに詳しいんじゃないか?」とおっしゃっていたことでした。特に女性の描き方が見事だったそうです。磯吉(染五郎)が市川高麗蔵さん演じるアグリッピーナという年上のロシア人と恋に落ちる場面があるのですが、その女性というのがさほど美貌ではなく、ロシア人男性にとってはやや年齢を取りすぎているという設定なんですね。そんな彼女が、“それならば…”と日本人の若者を捕まえようとしたり、別れ話をされてブチギレたりというのがリアルだと(笑)。もちろん、ロシアの女性が全員そうだということではないですよ。ただ、日本人とはやはり人間性が少し異なるという意味で、その特徴を見事に表現されていたと感心されていましたね(笑)。
◆あの別れのシーンは、2人の恋を止めようとする光太夫の説得も含めて大笑いしました(笑)。では、それ以外でお薦めのシーンがあれば教えてください。
演出面で言えば、犬ぞりのシーンは必見ですね。三谷さんは最初、馬のそりを想定されていたそうなんですが、10頭も準備するのは無理だということで犬の着ぐるみになりました(笑)。また、誰がどう見ても着ぐるみなのですが、そうやって堂々と“作り物”感を出しながらも、それでもしっかりと本物のように見えてくるのが歌舞伎らしさであると言えます。背景の書割もまさにそうですよね。それとこのシーンでは、せっかくなら犬たちの動きをそろえたほうが面白いのではないかと思い、ロシア公邸内の演技の所作指導に来てくださっていた元宝塚の皆さんに、「簡単でいいので振付をお願いできませんか」と頼みました。その結果、非常に動きのあるシーンになっていますので、ぜひ注目してご覧いただければと思います。
◆また、このシネマ歌舞伎の監督を三谷さん自らが行っているという点も見逃せないです。
はい。昨年、シネマ歌舞伎として上映するにあたって、どうしても三谷さんに関わっていただきたいと思っていましたので、念願かなって本当にうれしかったです。実際の舞台よりも40分ほど短くなっているのですが、それは映画監督でもいらっしゃる三谷さんが、まさしく映画の視点で編集した結果です。物語の展開やテンポ感に心地よさを感じましたし、舞台では味わえない新たなシネマ歌舞伎が誕生したなという思いですので、舞台をご覧になった方も、初めて見る方も新鮮な気持ちで楽しんでいただければ幸いです。
PROFILE
松本幸四郎
●まつもと・こうしろう…1973年1月8日生まれ、東京都出身。1979年、歌舞伎座 「侠客春雨傘」で三代目松本金太郎を襲名し、初舞台を踏む。1981年、「仮名手本忠臣蔵」で七代目市川染五郎を襲名、2018年に「壽 初春大歌舞伎」で十代目松本幸四郎を襲名。歌舞伎のみならず、劇団☆新感線の公演や三谷幸喜作品にも数多く出演。2005年の映画「阿修羅城の瞳」、「蟬しぐれ」では日本アカデミー賞優秀主演男優賞などを受賞。
作品紹介
『シネマ歌舞伎「三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち」』
CS衛星劇場 2021年5月1日(土)後5・00〜7・30、23日(日)後4・00〜6・30
<STAFF&CAST>
原作:みなもと太郎
作・演出:三谷幸喜
出演:松本幸四郎、市川猿之助、片岡愛之助、八嶋智人、坂東新悟、大谷廣太郎、中村種之助、市川染五郎、市川弘太郎、中村鶴松、片岡松之助、市川寿猿、澤村宗之助、松本錦吾、市川男女蔵、市川高麗蔵、坂東竹三郎、坂東彌十郎、松本白鸚
語り:尾上松也
<STORY>
江戸時代後期。商船「神昌丸」の船頭・大黒屋光太夫は、17人の乗組員たちと共に江戸に向かう途中で激しい嵐に見舞われ、大海原を漂流することに。それから8か月―。彼らがたどり着いた先は、なんとロシア領のアムチトカ島。異国の言葉と文化に戸惑いつつも、島での生活を始める光太夫たち。厳しい暮らしの中で次々と仲間を失いながらも、光太夫たちは力を合わせ、日本への帰国の許しを得るため、ロシアの大地を奥へ奥へと進んで行く。行く先々でさまざまな人の助けを得て、ようやく光太夫たちはサンクトペテルブルグで女帝エカテリーナに謁見することがかなうのだが…。
©松竹株式会社
●text/倉田モトキ