十八代目中村勘三郎の「芸能の街・赤坂で歌舞伎を!」というひとことから2008年にスタートした赤坂大歌舞伎が4年ぶりに帰ってくる。父の遺志を継いだ中村勘九郎と中村七之助が今回選んだ演目は、2016年に歌舞伎座で初演され、大きな話題を集めた「廓噺山名屋浦里」(さとのうわさやまなやうらざと)。待望の再演を前に、作品にかける思いと、残り2演目の見どころをたっぷり語ってくれました。
◆まずは、赤坂大歌舞伎が4年ぶりに復活することへの思いについて、お聞かせください。
勘九郎:本来であれば、昨年も赤坂大歌舞伎として「怪談牡丹燈籠」を上演する予定でした。しかし、出演者が決まり、脚本も完成して、いよいよこれから稽古に臨むぞというタイミングで、残念ながら中止を余儀なくされまして。その悔しさがあるぶん、今年にかける思いは強いです。
七之助:昨年のことは本当に残念でしたが、またこうして赤坂に戻ってこられたことをうれしく思っています。今回の「廓噺山名屋浦里」は、兄ともいつか再演したいと話していまして。後輩たちからも人気の高い作品でしたので、それを(TBS)赤坂ACTシアターでできることを楽しみにしております。
◆「廓噺山名屋浦里」は笑福亭鶴瓶さんの落語を、2016年に歌舞伎として舞台にしたものでした。そもそもこの演目を歌舞伎でやろうと思われたきっかけは何だったのでしょう。
勘九郎:この作品はもともと、タモリさんが『ブラタモリ』で吉原の街を歩いていた時に聞いた花魁の話が面白くて、それを鶴瓶師匠に「落語にしたらどうだ」とお話されたのが始まりだったそうです。私はその師匠の新作落語(「山名屋浦里」)を日本橋で初めて聞いたのですが、始まって2分くらいで、頭の中に歌舞伎座の大道具が情景として浮かんだんです。小説などを読んで、“これを歌舞伎にしたらどうなるだろう?”と想像することはよくあるのですが、私にとって落語では初めてのことで。しかも、浦里という遊女が七之助にピッタリだと思いましたので、ぜひともこれを兄弟で演りたいと、終演後に若輩ながら鶴瓶師匠に直談判させていただきました。そこから一気に話が進み、一年も経たないうちに実現し、お陰様でお客様からも大好評を頂いたんです。特に千穐楽のカーテンコールのことはすごくよく覚えていますね。
七之助:うん、あの光景はちょっと忘れられないですね。
勘九郎:普段、歌舞伎にはカーテンコールがないんです。それに、「廓噺山名屋浦里」自体、大団円のラストが待っているわけでもなく、カーテンコールが起きるような演目でもない。にもかかわらず、お客様の拍手が鳴りやまなくて。ちょうどその時、鶴瓶師匠とタモリさんが観に来られていて、2人が歌舞伎座の舞台に上がってくださり、一緒になってお客様にご挨拶ができたのは一生の思い出です。
◆その時の上演以来、再演を望む声も大きかった作品ですが、お2人はこの作品の魅力をどのようなところに感じていらっしゃいますか?
七之助:とてもシンプルでハートフルな物語なんです。人と人の繋がりや愛情が前面に出ていて。中でも私が演じる浦里という役は本当に素晴らしく、自分の身の上話をするところがあるのですが、私も脚本でその場面を読んだ時、ものすごく情景が浮かびました。脚本を小佐田定雄先生が手がけていらっしゃるのですが、落語作家の方が書かれるとこれほどまでに情景豊かになるのかと感動しました。
勘九郎:それに物語が非常に歌舞伎っぽいんです。昨年予定していた「怪談牡丹燈籠」も元は三遊亭圓朝さんの落語(「牡丹燈籠」)でしたが、かつて落語が歌舞伎になる時には、こうした同じような感覚があったのかなと思いましたね。
◆また、先ほど七之助さんが「後輩からの人気も高い作品だった」とお話されていましたが、2016年の上演時はどのような感想が多かったのでしょう。
勘九郎:一番多かったのは、やはり「七之助がきれい!」というもので。その言葉を受け止めて、私は「でしょう!」という思いでした(笑)。というのも、鶴瓶師匠の落語を聞いて、私が何よりも大事にしたいと感じたのが、美しさだったんです。それで言いますと、ラストのシーンもそうですね。とにかく“美”を追求しましたので、皆様から「きれいだった」という声を頂けて本当にうれしかったです。
七之助:私に届いたのも同じく「きれいでした!」という声でした。女方の後輩たちがこぞって楽屋に押し寄せてきて、口々に「やりたい、やりたい」と話していて。実はこれには理由があって、なぜかと申しますと、歌舞伎の女方ってラストが不遇に終わることが多いんです。前半に一生懸命がんばっているのに、途中で死んで終わりだとか、最終的に幕切れにいないとか(笑)。でも、この「浦里」は女方がメインの物語ですし、最後まで舞台上にいるんですね。観に来てくれた(尾上)松也にいたっては、恥ずかしくて外に出られないくらい号泣していて。決して長いお話ではないのに、その短い時間の中で女方のさまざまな魅力が詰まっている。そこもこの作品の素晴らしいところだと思います。