◆今回の「ねじまき鳥クロニクル」はいかがでしょうか?
実は買ってから、途中までしか読んでいなかったんです(笑)。このオファーをいただいて、いい機会だったので最後まで読みました。そのあと、朗読することでも読みましたし、読む部分の下読みもしましたし、こんなに何回も読んだ小説はないですね。だから、もうすでに読んだ気持ちでいたら、「あれ、まだ収録してない…今からか!」みたいな感覚になる時もありました(笑)。
◆藤木さんから見た、村上さんの作品の特徴はどういったところでしょう?
いろいろな小説を読んでいるほうではないので、あまり大したことは言えないんですけど、やっぱり独特なユーモアセンスとメタファーでしょうか。明言しないじゃないですか。この「ねじまき鳥クロニクル」も、“果たして本当はどうだったのだろうか?”と思う部分がたくさんあって。
◆朗読していく中で、特に印象的だと思ったシーンはありますか?
全てのシーンが重要なので、1つだけ挙げるのは難しいですが、この「ねじまき鳥クロニクル」では戦争のことが描写されています。それもソ連…シベリアのことで、小説を読んでいる時にちょうどロシアのウクライナ侵攻があって、すごくリンクしたというか、戦争の恐ろしさを感じました。1巻の終わりのほうにある人間の皮が剥ぎ取られるというシーンは、とても読むのが難しそうだなと思っていて。淡々とした文体で、でも人間のそういう暴力だったり、エロスみたいなものを描き切るっていうのは村上さんの特徴だし、僕は書いてあることを読む、それで伝わるのかなとも思いました。
◆俳優としてドラマや映画に出演される時と、今回のような朗読では表現への取り組み方も異なるのでしょうか?
(俳優としての)役は、その登場人物になることだと思うんです。その人の言葉として、どう伝えていくかというところで、感情が大きく動くシーンもあれば、そうじゃない淡々としたシーンもあって。いかにその人になり切るかっていうところで、見ている人に届くか届かないかみたいなことをやっている。でも朗読はある種、俯瞰的というか。小説を書いている人の切り口に近いような気もするけど、朗読劇でもないし、ラジオドラマでもないので、どこまで気持ちを入れるのかっていうのはすごく難しいところでした。
◆そういった中で準備されたことなどはありますか?
他の方が読まれている作品を資料としていただいて、それを聴きました。そうしたら、感情を入れすぎず、淡々と読んでいる印象を受けたので、朗読とはそういうものなのかもと思ったんです。主観が入りすぎると、聴きづらいのかもしれないなと。でも登場人物がたくさん出てくる中で、キャラクター同士の掛け合いでどっちがしゃべっているか分からないと、聴いていて物語が分からなくなってしまうので、そこだけは分かるようにしたかった。そこのさじ加減は難しかったです。
◆読むスピードも重要になってくるのでは?
そこはやっぱり難しいですよね。どんな話かにもよるじゃないですか。子供に絵本の読み聞かせはしているので、あれくらいの短さなら、キャラクターのせりふのスピードや展開に強弱はつけられますけど、小説はひたすらに長いので、考えすぎてやると多分、永遠に終わらないだろうなって(笑)。あと、それぞれの持っている持ち味というか。ナレーションの仕事は何回もやっていますし、他のナレーションの方の作品を耳にする機会もたくさんあって、いろんなやり方があるんだなと思う中で、自分はどういうものが得意なのかということはいつも意識していますね。自分ができること、自分がしなきゃいけないこと、自分がこれから取り入れていきたいことについては、いつも考えています。