1月10日(木)放送の『二代目 和風総本家』(テレビ東京系)は、明治から平成まで温泉旅館での料理がどう移り変わってきたのかを「温泉旅館グルメ史」と題し、 立川志らくが語りとともにひもとく。
番組では、かつての温泉旅館の料理とはどういうものだったのか、そして「全国総“赤もの”時代」と呼ばれた料理の謎、そして旅館メシに革命を起こした人物の秘密にも迫る。
そのほか、温泉に欠かせないモノを作る職人にも密着。福島の二本松にある岳温泉。その源泉は温泉街から何と8キロも離れた山の上に…。そんな日本で一番長い引き湯の管理を任されているのが湯守の武田さん。3時間以上かけ雪道を歩き源泉からつながる温泉を運ぶパイプにこびりついた“湯の花”と呼ばれる塊を掃除。そんな過酷な1日に密着する。
そして岐阜・中津川には、青森ヒバの角材を手作業で微妙な角度をつけて0.1ミリ単位で削り、丸桶の浴槽を作る職人さんが。浴槽木製浴槽を専門に製作する工房「檜創建」でも丸桶の浴槽を作れるのは職人の喜和田さんただ1人。その丁寧な仕上げ作業が評判で、全国のさまざまな温泉旅館で使われているという、その技に迫る。
さらに、仙台の奥座敷・秋保温泉の高級旅館で使われていたのは雪の重みにも耐えられるよう大きめに作られた番傘。それは山形県の職人が作っていた。
かつては番傘の一大産地だったにもかかわらず、残っているのは1人のみ。職人さんが伝統を守り続ける理由、それは…傘が売れなくなっても作り続け、必死でいろいろな旅館に営業に歩き回り、自分を育ててくれた父の姿を見ていたからだった。そんな伝統の技を次世代へとつなぐ職人の想いにも迫る。